お知らせ 2018.09.05
模擬原子爆弾投下地跡
今から、73年前の1945年8月6日9日に広島と長崎で原子爆弾が投下されました。その少し前の7月26日、大阪市東住吉区田辺2丁目付近(現田辺小学校付近)で、長崎の原爆と同じ形の模擬爆弾(パンプキン)が米軍によって1発投下されました。被害は、その付近200メートルにもおよび、村田繁太郎さん(当時55歳)はじめ7名が亡くなられました。重軽傷者は73名、建物の消失倒壊個数485戸、罹災者1645人という大きなものでした。当時は、1トン爆弾が落ちたと思われていたのですが、戦後50年経過してから、被害者の方が国会図書館で米軍の資料を調べていたら、模擬原子爆弾という事がわかりました(日本各地数十か所で落とされている)。模擬原爆とは、米軍による原爆を落とすための実践訓練です。原爆と同じ形の爆弾を落とし、逃げ方などを確認したそうです。この大阪でも、原爆につながる被害があったことは、発見当時、地域でもかなりショッキングなニュースとして扱われたそうです。この石碑は、2001年に村田さんのご家族の方が自費で建てられたそうです。以来、毎年7月26日には追悼式も行われているそうです。