大阪きづがわ医療福祉生活協同組合 Osaka-Kizugawa Health Co-operative Association

報告 2019.10.09


この7月、あの震災から8年経った宮城県に行かせて頂きました。地元宮城の医療生協の理事さんのご案内で山元町へ行きました。
向かう移動中、見晴らしの良い景色が広がっていました。この見晴らしの良い景色は、本来、その場所に2,200棟以上の民家があり、そばにはJR常磐線が通っていました。その場所には、津波で亡くなられた637名の名前と年齢が刻まれた石碑がありました。そして、竹の子をモチーフにしたオブジェが建っていました。(竹の子のように未来にむけてどんどん成長してゆくという思いが込められているそうです)
石碑の名前を見ていると、家族であったと思われる同じ苗字6名がありました。その中に、2歳と書かれた子どもがありました。あの時、あの瞬間迫ってくる恐怖の中、きっと母親はわが子を守りたかったと思います。子どもだけでも助けたかったと思います。しかし、高さ14メートルの津波が無情にもあっけなくすべての命を奪ってしまいました。もし自分の家族だったら、もし自分の子どもだったら、そう考えると恐ろしくて身体が震え、涙がこみ上げてきました。
その後、津波被害のあった老人施設へ見学に行きました。雑草が生い茂りドアも窓も全て無くなり、カーテンもぼろぼろにちぎれ、屋内は枯葉やゴミが散乱しあちこちに大きなクモの巣がはっていました。お化け屋敷のようななんともいえない不気味な光景でした。8年も経ったのにあえてそのままにしているのは何か伝えたいことがあるのかなと思いました。
現地の理事さんのお話では、施設庁のとっさの判断で入所者も職員も全員避難して、一人も犠牲者を出さなかった所と反対に避難が間に合わずたくさんの犠牲者をだした所があったそうです。改めて、日頃の災害訓練の大切さがわかり、考えさせられました。
今回被災地の人と触れ合う中で、再建にむけて一生懸命頑張っている姿に、私はとても励まされました。一生懸命伝えてくれた現地の人や理事さんに感謝申し上げます。また、こういう被災地訪問の機会を与えて頂きありがとうございました。

ヘルパーステーションわかば 妹尾 ルミ子